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トップページ原爆の絵ポンプの水をバケツに吸みあげ収容所の人達に飲ませてあげた

原爆の絵

識別コード GE29-23
絵の内容 ポンプの水をバケツに吸みあげ収容所の人達に飲ませてあげた
作者名(カナ) 宇城 フユコ(ウジョウ フユコ)
作者名(英語) Fuyuko Ujo
当時の年齢 18歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6~8/7(時刻)6日の夜、7日の朝
情景場所 陸軍運輸部馬匹検疫所
情景場所旧町名 似島町字大黄
情景場所現町名 南区似島町
爆心地からの距離 10,000m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
芋畠の中にあったポンプで私と山地さんは大きなバケツに水を一ぱい汲んでは走って収容所の人達に飲ませてあげました。二人とも小さなからだなのでバケツを引きずるように両手にさげてはポンプまで何十回も走ったものです。ポンプの所へ行く途中に死体収容所がありましたので走りながら見たので黄色のものが並んで見えました。
一ツの長い建物は死体収容所で黄色い物体のように見えました。

**実態調査
私も山地さんも背が低いので大きなバケツからポンプの水をくみ何十回も運び竹のコップで水をあげたり最期の水を飲ませました。



芋畠
サイズ(cm) 20.5×29
展示の説明文 徹夜で負傷者の看護をする
絵・文/宇城フユコ氏
1945(昭和20)年8月6日夜 馬匹検疫所
「ローソクの火をたよりに何百人もいる人たちを女の子2人で受け持ち、『看護婦さん、お姉さん、助けて』と言う声に、涙を見せてはいけないと走り回って、おしっこをさせてあげたり、水とおかゆを食べさせてあげたりしました。薬も包帯も残り少なく治療も出来ず、みな次々と亡くなり、夜が明けるころは残る人も少なくなり、かわいそうに思いました。作業着には、血や膿み、はがれた人の皮膚などがつきましたが、きたないとも思いませんでした。」 手記より抜粋

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