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原爆の絵

識別コード GE29-13
絵の内容 逃げてきて収容された多くの負傷者
作者名(カナ) 川口 シマ子(カワグチ シマコ)
作者名(英語) Shimako Kawaguchi
当時の年齢 22歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)午前
情景場所 広島第一陸軍病院江波分院
情景場所旧町名 江波町
情景場所現町名 江波南一丁目
爆心地からの距離 3,600m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
昭和20.8.6午前中 江波陸軍病院ニ於テ
刻がたつにつれ裸体に近い姿で避難されて来られます
劫火の中をのがれ駆け抜けて来た人達
髪もちゞれ焼けた肌も無残に白く皮膚がたれさがっていた
唯呆然と坐り込む負傷者
顔面がひどく膨張している体は無傷らしいが目をやられたらしい にわかめくらの中年の女の人が竹の杖を頼りに歩いて来られる。
戸板で運ばれた方は女の方でしたが頭の髪の毛は皮ふもろともにはぎとられた様にはずれ血にそまっていられた
先輩の一人が怪我をされる
吾々救護班は一はやく江波分院の門をくゞった
門衛の兵は心よく通してくれた
ガラスの破片などで軽傷を負った大勢の傷兵は列をつくり治療を受けている友人の応急手当の済むまで屋外で待つ・・・間もなく近住の顔見知りの方々も治療に来られる
土橋や舟入からと遠くの人等も続々と南下して来られたが其の頃には若干服装も段々と形をとゞめるものもなく裸体に近い姿でやっと南下されて来られた様子
刻がたつにつれ重傷の人々もタンカや戸板で運ばれてきた
江波分院では病棟を開放され治療に当てられていたが負傷者は増すばかりで各病室の机やベッドを野外に並べて治療にあてられました
軍医も看護要員も全力をつくし立働いていましたが火傷の薬も次第に底をつきなす術もなく本部へ薬を受取りに要請の傳令の兵を出されたそうですが市中の大惨事と大混乱…大本営近に有る本院や第一病院全滅の悲報が入ったのは其の日の内に知らされました
みんな新型爆弾使用されたと云う事はもちろん知る由もなく唯自分のところだけと信じていたのですから唯呆然と班長の訓詞を聞いた
川口シマ子
**裏
川口シマ子
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文

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