トップページ原爆の絵父を呼び、母を呼びあるいは水を求める子どもたち
識別コード | GE28-13 |
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絵の内容 | 父を呼び、母を呼びあるいは水を求める子どもたち |
作者名(カナ) | 富永 芳子(トミナガ ヨシコ) |
作者名(英語) | Yoshiko Tominaga |
当時の年齢 | 21歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 己斐国民学校 |
情景場所旧町名 | 己斐町 |
情景場所現町名 | 己斐上二丁目 |
爆心地からの距離 | 3,050m |
ブロック別 | 己斐・草津地区 |
作者による説明 | **絵の中 私は工場のハリの下から助け出され夢中で逃げる途中五才位いの男の子が全身爆風のためはだかになり火傷を負って父母の名を呼び泣きさけんでいました 私は子供を背負って逃げました (お父ちゃんお母ちゃんいたいよう・・・) ウウン苦しいよう 早くだれかきてくれよ 己斐の小学校に避難しました ある小学生は目も見えなくなり火傷のためあつさと苦しさで「水をくれ」水をのましてくれ」といって私がとめるのも聞かづどろ水のバケツをかヽえてがぶゞのんでいました (水をくれ 水をのみたいよう) 又本川小学校には防火水そうの中に十人近い子供が入って死んでいました 太田川べりには多くの人があつさをのがれるため苦しさにもだえ死んで居りました 生きているものも頭はこんらん状態で何をどうしてよいやらまるで生地ごくさながらの有様でした 私は今だあの男の子が苦しみながら死んでいったのが頭から忘れられません 二度とあのような無心な子供に悲惨な事のない事を心より願って居ります (いたいよう…目が見えないよう) |
サイズ(cm) | 23×35.5 |
展示の説明文 | 火傷を負い、裸同然の姿で泣き叫び、父母を求める子ども 爆心地から約3.0km、己斐国民学校(現在の西区) 1945(昭和20)年8月6日 富永 芳子 |