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トップページ原爆の絵水漕の女の人の死体 、広瀬町被災状況

原爆の絵

識別コード GE27-40
絵の内容 水漕の女の人の死体 、広瀬町被災状況
作者名(カナ) 岩本 恒子(イワモト ツネコ)
作者名(英語) Tsuneko Iwamoto
当時の年齢 36歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/8
情景場所 広瀬北町
情景場所旧町名 広瀬北町
情景場所現町名 広瀬北町
爆心地からの距離 1,100m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中 
広瀬北町
元音羽洋裁研究所前の水槽の中で若い女性が右足のヒザの下からドス黒い血を出して髪はほこりにまみれ乱れていて顔は見えなかったが派手な柄のモンペーの上下は和服で作ったもので焼けていませんでした
モンペイは破れて素足でした「死者有り」と書いておきました
水槽は何日もポンプの水を入れ満水にしてありましたが四角が破れて水はありませんでした
何處の誰かもわからず水槽にトタンを掛けておきました
そのトタンの上で焼れたのかこんと行った時は歩道で焼いて白骨になっていました(八月八日)
冥福を祈り乍ら三十年になります
植木内科前には自家用車が四輪を上に憐れな姿でした
電車は軌道から西に車輪がはずれ赤焼になっており西は広瀬橋東へは寺町に通じる四ツ角の通りには眞黒になった男の人か女の人かもわからぬ裸体の姿
寺院の大手の所にも女の人等や子供が死んでいました
広瀬元町林美容院前の大きな水槽には水が満水でその中で女性が二人大きく水ぶくれして黒いパンテーは破れ腸が出ている姿は恐しい程でどんなにか苦しまれたのかと三十年後の今日も瞼の奥に焼き付いていて冥福を祈らずにはおられません九死の一生を得た者の使命と思います
義兄は八丁堀福屋前の安全地帯で甥は広瀬北町日本工業で被爆死
義兄は大入道となって八木の本家に帰り九日に死亡しました
広瀬町の土手筋にも女の人が十日市の町角には馬が死んでおり観音橋には学生が名札を胸に沢山横に並べられて死んでおり川にも兵隊さんが死んで浮いていました

岩本恒子
(植木内科焼跡)
(寺院)
元成寺焼跡
街路樹
寺院 大手
歩道
寺町電停
自動車四輪を上に
電車赤焼
車道
電車道
街路樹の柳
街路樹の柳の焼跡
車道
ポンプ
水槽の中の若い女の人
街路樹の焼跡
鉄柱
歩道
現在 自動車商会 石亀家焼跡
現在 七福家具 上野家焼跡
現在 藤本オケ店 音羽洋裁研究所焼跡
現在 平本理髪店 里田家焼跡
**裏
岩本恒子
サイズ(cm) 25.5×35
展示の説明文

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