トップページ原爆の絵手術用手袋のように両手、両足は肉と皮が完全にはなれ顔は真黒。建物疎開中に被爆した母親の最後の姿。
識別コード | GE26-41 |
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絵の内容 | 手術用手袋のように両手、両足は肉と皮が完全にはなれ顔は真黒。建物疎開中に被爆した母親の最後の姿。 |
作者名(カナ) | 南野 昭美(ナンノ テルミ) |
作者名(英語) | Terumi Nanno |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)10:00頃 |
情景場所 | 舟入南町の自宅 |
情景場所旧町名 | 舟入南町 |
情景場所現町名 | 舟入川口町 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | **絵の中 八月六日軍の命令により建物疎開に出動 現在の国泰寺高校のあたりで被爆 翌七日死亡しましたが意しきは死ぬまではっきりしていました 胸から火の塊がはいたといヽ乳房は片方は焼て炭になっていました 両手両足共肉と皮は完全にはなれて手術用手袋をはめた様に見えましたし又上衣・モンペ・靴などは身につけていなく当時の洋服の仕立として袖附をバイヤスでまいていたのでそれが両肩に残こっていた所から一舜にチギレてなくなったと思はれます 爆風の為に背椎が折てあるけなかったと言いましたが日本の勝利を信事ていたのか命きれるまで痛いと言う事は一言もなく私の事のみ安事てゆきました 母の最後の姿 南無阿弥陀佛 被爆前の顔で長顔であった 手術用の手袋をした様に肉と皮ふはかん全にはなれていたがなぜか手・足・共にきわがついていた パンツだけは身についていた 乳豆はやけて炭になっていた 熱傷 小鼻はなくわずかに鼻筋があるだけ 上衣の袖附の三ツまきにした物だけが残っていた 顔はむしパンの様に黒くやけてまんまるにはれていた 南野昭美 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 |