識別コード | GE26-39 |
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絵の内容 | 8月8日に広島郵便局の焼け跡を見る |
作者名(カナ) | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) |
作者名(英語) | Shinsuke Uchiyama |
当時の年齢 | 46歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/8 |
情景場所 | 広島郵便局周辺 |
情景場所旧町名 | 細工町 |
情景場所現町名 | 大手町一丁目 |
爆心地からの距離 | 80m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月六日 原爆投下状況 今ま一度考えて、当時、状況をカンタンナル粗画にして考えて見たい 大正十四年前迄廣島郵便員として広島郵便局に勤務 当時簡易保険の係員勤務中沢山の親友も居た 当時郵便局一箇所なり現在では、(駅前 西郵便・・中央郵便局)あり一番近くの爆心地の局たり 当時局員参百人前后居たが全員死すと聞く 参考資料として八月八日焼跡を見て歩いた事が目の前に思ひ出し後日の資料として一部を書きて出します 四年間勤務した思出有り(局は、細工町元安橋に有り東横町ともいふなり) 近辺の町(細工町 猿楽町 鳥屋町 大手町一丁目 東横町)実に惨たん状況で一枚の瓦すらやけた色も変りゐる 私は八月八日午後六時自分が勤務した後尋ねて感慨無量 恐ろしきは戦争なり 私の八日焼け■■の(木のくすぶり) ■体は五十名餘見る 郵便局跡あり 原爆死亡した正確なる数字不明とか 日本は神国といふ馬鹿げた事だ 思出し記入した当時の思ひで 川本自転車店 全員死亡 只今では公園となり居るなり 元安川 元安橋 物産陳列館 郵便局 沢山ノ家建物アリ 三拾年前ノ事デ記憶ヲ日記より取りて■る 小生毎朝三篠神社 午前五時起き 隊員一所参拝す 七十七才 内山新助 |
サイズ(cm) | 35.5×51 |
展示の説明文 |