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トップページ原爆の絵救護所そして火葬所となった国民学校

原爆の絵

識別コード GE26-33
絵の内容 救護所そして火葬所となった国民学校
作者名(カナ) 山本 節子(ヤマモト セツコ)
作者名(英語) Setsuko Yamamoto
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時
情景場所 戸坂国民学校
情景場所旧町名 安芸郡戸坂村
情景場所現町名 戸坂出江二丁目
爆心地からの距離 5,100m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
戸坂小学校
火葬所
チンク油
赤チン
チンク油
**実態調査
教室で夜、就眠中に死者が外へ出され校庭の隅で火葬されていて、7日間に教室はガランとしてしまった。木と死者を交互に積んで焼かれていた。後は山 町内会の婦人会から毎日ムスビ2個を頂いていた。
**裏
山本節子
サイズ(cm) 38.5×54
展示の説明文

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