トップページ原爆の絵水を下さいと頼む中学生、倒れた鳥居、馬の死体
識別コード | GE26-17 |
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絵の内容 | 水を下さいと頼む中学生、倒れた鳥居、馬の死体 |
作者名(カナ) | 畝 正登(ウネ マサト) |
作者名(英語) | UNE Masato |
当時の年齢 | 48歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 白神社 |
情景場所旧町名 | 小町 |
情景場所現町名 | 中町 |
爆心地からの距離 | 490m |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月七日被爆死した我子(二中の一年生)探しに燒野原死人の中を歩き廻り白神神社(広島市)出ました 此所には石の鳥居がめちゃゝに折れ大きな馬が倒れ数る死人の中に中学一年生の学徒が物影一つ無き上焼付く様な太陽の光を受け乍ら苦しんで居られたので我子ではなかろうかと近寄りました 我子ではありませなんだ 突然おぢさん水を下さいと頼まれました 私水を切らしていたのと被爆者に水を飲すとすぐ死ると聞いて居ましたので今水を持ていないのよ今に御父お母さんが迎に見へるだろうから元気を出してと云ふて立去りました おぢさん 水を下さいや 翌日八月八日又其の所を通りかヽって見れば地に伏し付いて死んでいられた あー済まなんだ あと一日ももた無い命なら何んとかしてたっぽり水を求めて飲して上るであったにと合掌念佛 あー私の子供どこかであんな哀な姿で死んでいるやう又苦んでいるかも知れない 丁度其頃我子は似島にて父母上と呼乍ついに十三年の短い人生の最後の息を引き取りを夕方知りました あの日去りて二十九年間忘れる事の出来ない我が子心中次に水を下さいやの哀な姿 あー憎らしき原子爆彈 |
サイズ(cm) | 38.5×54 |
展示の説明文 |