トップページ原爆の絵気がつくと地下室におちており、回りは机や腰掛だらけであった。自力で地上に出た。
識別コード | GE25-49 |
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絵の内容 | 気がつくと地下室におちており、回りは机や腰掛だらけであった。自力で地上に出た。 |
作者名(カナ) | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) |
作者名(英語) | Miyako Sadatoku |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8:30過ぎ |
情景場所 | 広島県農業会 |
情景場所旧町名 | 国泰寺町 |
情景場所現町名 | 国泰寺町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,000m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 5. 8月6日午前8時半過ぎ一旦眞暗くなって明かるくなってみると机や腰掛が右往左往して居ました 県農業会の地下室 地下へ落ちて気がついた時眞黒だった私は焼夷彈にやられたのだと思い死を覚悟して南無阿弥だ佛と唱えたものです 暫くすると明かるくなり死ななくてすんだと思い嬉しくなりました 先程迄県農業会の職員150人余りの人は皆んな何うなったのでしょう 余り机や腰掛が身の廻りにあるので此處から先は何も見えず人も居られない助けてー、と呼べど何の答へもなかった いよいよ私も決心して出ようにも片足の足や靴が物の間へはさり脱けなかった そこで靴はもうあきらめて足だけやっとの思いで脱けだし片方の靴だけ履いてこヽを脱出した そして幸にも地下から地上にかけて3-4寸角の大きな柱があった これを助けの神として恐る恐る渡って地上に出る事が出来た ここから向ふは机や腰掛が一杯で何も見えなかったのです 机や腰掛が右往左往して居る 中に落ち込んで居る私 **裏 貞德ミヤコ 63才 |
サイズ(cm) | 38.5×54 |
展示の説明文 |