識別コード | GE25-16 |
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絵の内容 | 血だらけの孫の手をひいた豆腐屋さん |
作者名(カナ) | 中村 マサノ(ナカムラ マサノ) |
作者名(英語) | Masano Nakamura |
当時の年齢 | 40歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00頃 |
情景場所 | 大手町九丁目 |
情景場所旧町名 | 大手町九丁目 |
情景場所現町名 | 大手町五丁目 |
爆心地からの距離 | 1,400m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 八月六日午前九時頃大手町九丁目(現五丁目) 朝「トーフトーフ」と鈴をならして来た 豆腐屋さん胸は焼けただれボロが下ったように皮がむげた手で孫の手を引いて「泣くんじゃない戦爭のためみんながこんなになったんじゃ」頭から流れる血で顔がよく見えぬ子供の手を引いて歩いていたあの言葉は今も忘れられない。 **裏 中村マサノ 七十才 家の下敷より私は這い出て、足の踏場もない、崩れた木の上を夢中で逃れた。途中姿も見えぬ死の呻き声「助けて 助けて」の叫び声を耳にしながら、やっと建物疎開してあった九丁目に出た。そこには血みどろに傷ついた大勢の人が、右往左往していた。まるで地獄の絵よりまだ哀れだった。その中の二人 |
サイズ(cm) | 31×41 |
展示の説明文 | 孫の手をひく豆腐屋さん 爆心地から1,400m 大手町九丁目(現在の大手町五丁目) 1945(昭和20)年8月6日 午前9時ころ 中村 マサノ氏(原爆投下当時40歳、絵を描いた時70歳) 作者の解説 八月六日 午前9時ころ 大手町九丁目(現五丁目) 朝「トーフトーフ」と鈴をならして来た豆腐屋さん。胸は焼けただれ、ボロが下ったように皮がむけた手で孫の手を引いて「泣くんじゃない、戦争のためみんながこんなになったんじゃ。」頭から流れる血で顔がよく見えぬ子どもの手を引いて歩いていた。あの言葉は今も忘れられない。 |