トップページ原爆の絵肉親を求める何千という人々、乳児を抱く母、紫色に火傷した女学生
識別コード | GE25-15 |
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絵の内容 | 肉親を求める何千という人々、乳児を抱く母、紫色に火傷した女学生 |
作者名(カナ) | 難波 雪枝(ナンバ ユキエ) |
作者名(英語) | Yukie Namba |
当時の年齢 | 14歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00頃 |
情景場所 | 東練兵場 |
情景場所旧町名 | 尾長町 |
情景場所現町名 | 光町 |
爆心地からの距離 | 2,300m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 20.8.6.九時頃 大須賀踏切 広島駅 東練兵場 広い練兵場を何千とゆう人々が親は子の名を呼び子は親の名を呼びつゝ右往左往する姿は、十五才の私はあヽこれが生地獄だ、と思いました。 火傷で背中の皮フが腰までたれ下った男の人 女の人の死体にムシロがかけてある 赤ちゃんの死体を抱いて逃げる気力もなく座っている人 学徒動員の女学生が火傷で顔が紫色にはれて小さな声でお水ちょうだいゝといっていた。 お水を持っていたら飲ませてあげたのに、今も心が痛む 生きておられるのだらうかと今も思う。 **実態調査 東練兵場へ避難する被爆者 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 | 何千という人々が親は子の名を呼び、子は親の名前を呼びつつ右往左往する姿は、十五歳の私はああこれが生き地獄だと思いました。学徒動員の女学生がやけどで顔が紫色にはれて、小さな声で「お水をちょうだい、お水をちょうだい」といっていた。お水を持っていたら飲ませてあげたのに、今も心が痛む。生きておられるのだろうかと今も思う。 |