トップページ原爆の絵腐敗した体内のガスで膨張した全裸の男の死体
識別コード | GE24-46 |
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絵の内容 | 腐敗した体内のガスで膨張した全裸の男の死体 |
作者名(カナ) | 島川 六男(シマカワ ムツオ) |
作者名(英語) | Mutsuo Shimakawa |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/9 |
情景場所 | 相生橋西詰 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 300m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 原爆の繪 日時 昭和20年8月9日 場所 市内相生橋西詰 説明 8月9日当時私は暁第6140部隊の船舶兵であった。体の達者の兵は選ばれて市内の死体處理に出た。火炎も下炎になったので、隊長の許しを得て市内に居住する家族の安否を尋ねるべく歩いて三滝町の山麓に辿りついた。幸ひ無事であった。途中市内は焼野ヶ原で、車、電車も焼け自転車も骨組だけで未だ余燼で悪臭で呼苦しい状態であった。日赤病院の前には死体が山と積まれていた様に思う。相生橋の西詰に来た時一人の大男が全裸で上向に横たわり体内の腐敗ガスで皮が拡がれるだけ拡がっていて局所も大きく隆起していた眞に恐しい姿で未だに判きりと記憶に残つている。別院の所の土手には性別もわからん猿の黒焼の様な死体が連っていた。同じ土手に、不思議にも晴着を付けた少女が死んでいた。戦後30年は当時を体験した者にはまるで夢の様だ。死を余りにも簡単に取扱われたものだ。 島川六男 |
サイズ(cm) | 36×25.5 |
展示の説明文 |