識別コード | GE24-41 |
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絵の内容 | 繃帯姿の二人の県庁職員 |
作者名(カナ) | 永尾 勝實(ナガオ カツミ) |
作者名(英語) | Katsumi Nagao |
当時の年齢 | 42歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)13:30頃 |
情景場所 | 広島東警察署 |
情景場所旧町名 | 下柳町 |
情景場所現町名 | 銀山町 |
爆心地からの距離 | 1,210m |
ブロック別 | 銀山・幟地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和20年8月7日(火)晴 同郷の友人中本部長 友人冬梅警部 東警察署(県庁の疎開先ときいた) **裏 日時 昭和20年8月7日(火)后1時半頃 場所 東警察署 説明 広島県庁の疎開地(己斐で警官にきく) 由来ー当時(軍政下の日本)の状態を記述します…私の30年前の記憶で夛少の誤りはあるかも知れません 軍政日本 首相(東条)陸相 軍政-大本営 陸-東条 計画作戦-の指示(軍のことは一切分らないので相像) 空 海-嶋田 民政-官庁-中国軍管区 広島県庁 学校-大高(専)、中、小(国民学校) 組織 会社-製鉄造機造船食品を優先し先づ軍需品を 銀行-国立、私立、農協-軍用金優先扱い 商店-卸、小売共配給品 (勿論軍需物資第一であったと思う) 市民-軍需品の会社商店の勤人は優遇し隣組制度の活用 農民-食糧の生産と供出 -隣組制度の相互扶助活動 感想 個人の自由と活動は全く制限(抑圧)され、滅死奉公の精神を涵養し活動することが日本人の勤めであって此れに反する者は非国民として罪人扱いにされた。青少年は次々に召集され男子は第一線又は軍需工場へ(後には老人も)女子は挺身隊として(在学中も)軍需工場へ狩り出す。我々の学校も2専の学生は義勇軍として第一線へ出動し先生も次々に召集された。 夜間部の者が僅かに学習し19年から20年のはじめ頃は軍事訓練をし昼間は市内の主婦を集めて竹槍訓練をした。 始末 我々教職員は、万一広島に爆撃が行なわれた時は先づ県庁に集合して指示を受けることになっていたので土帰月来して居た私は月曜(6日)の午后出■して徒歩で五日市(夜中)まで本日7日現在(己斐で警官にきいて)県庁のあると言う東警察に辿りつき絵の兩君に遇って指示を云うた。2人共繃帯巻の姿で迎えてくれた。 県庁は全滅で経済部長が一人休んで居られるとのこと、どうにもならないから帰ってくれとのことで辞去して責任をはたした。余りの惨状に話がはづみ、絵にはないがロシア人(大手町で呉服商をしていて私とよく話していた人)とも話して2時過ぎ辞去した。 (己斐の親友、(比治山教頭)の宅に泊り翌日学校長を訪ねた) |
サイズ(cm) | 25.5×35 |
展示の説明文 |