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トップページ原爆の絵瀕死で帰って亡くなった母親を家族だけで畑で火葬する

原爆の絵

識別コード GE24-36
絵の内容 瀕死で帰って亡くなった母親を家族だけで畑で火葬する
作者名(カナ) 上杉 綾子(ウエスギ アヤコ)
作者名(英語) UESUGI Ayako
当時の年齢 45歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 舟入川口町
情景場所旧町名 舟入川口町
情景場所現町名
爆心地からの距離 2,200m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
之は親しい隣人の死に至る経過を(1)より(4)まで順にかいた
(1)
八月六日市役所の裏に建物疎開に行き夕方瀕死で帰宅舟入川口町自宅
オカアチャン! 布
顔中目と口を残しチンク油がぬられてゐた
その夜この女の人は死んだ
水道のそばまで匍って行って
(2)
オカアチャン!
大八車
死体
ゴザ
八月七日家族丈で柩もなくそのまヽ畑で焼いた
オカアチャン!!!
舟入川口町(爆心地から二Kの)場所
(3)
之こそ全くの地獄である 
あり合せの木片 竹切
ゴザの下に死体
今から焼くところ
父と子が母を焼くそばで合掌してゐる
(4)
謹んで原爆死没者の御冥福を祈る
至る所の畑が皆火葬場であった
毎日次から次に焼かれて行った
**裏
上杉綾子 75才画
サイズ(cm) 38.5×54
展示の説明文 毎日次から次に

爆心地から2,200m
舟入川口町
1945年(昭和20年)8月6日
上杉 綾子 (原爆投下時45歳、絵を描いた時75歳)

【作者のことばから】
市役所の裏に建物疎開に行き、夕方瀕死で帰宅。その夜この女の人は死んだ。
8月7日家族だけで棺もなくそのまま畑で焼いた。
至る所の畑が皆火葬場であった。毎日次から次に焼かれていった。

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