トップページ原爆の絵トラックで運ばれる被災者火傷で背中の皮膚がボロのように垂れ下がり、泣き叫ぶ男の子
識別コード | GE23-29 |
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絵の内容 | トラックで運ばれる被災者火傷で背中の皮膚がボロのように垂れ下がり、泣き叫ぶ男の子 |
作者名(カナ) | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) |
作者名(英語) | Miyako Sadatoku |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00過ぎ |
情景場所 | 広島地方専売局前 |
情景場所旧町名 | 皆実町二丁目 |
情景場所現町名 | 皆実町二丁目 |
爆心地からの距離 | 2,280m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **絵の中 5.專売公社前 似之島に収容された者は全部助からなかったそうですがそれはそうですよ 透き通るような雑炊を食べて居たのでは助かりませんよ 私は翌日早く似之島を脱出しましたので助かりました 此の坊やは其の頃国民学校の3,4年生と思はれました背格好でした 原爆の為にヤケドして背中の皮膚がボロのように下っていました それへ折からの太陽が当たり「はしるよ、はしるよ」と云って泣き叫んで人目を引きました 其の泣き声に同乘して居た者は其の子にばかり目は集中しどうもしてあげることも出来ませんでした 此の坊や何處の坊やだったんでしょう 此の坊やは其の夜似の島の収容所で死なれた筈です。 八月六日9時過ぎ 黒いボロのようにぶら下っているひふ 此の坊やのハレルヨゝと云って泣き叫んだ声や姿は今尚瞼の奥からはなれません ほうとうに原爆の犠牲者の痛ましい姿でした 御幸橋を渡ったところで 足が痛いのにこれから未だ宇品の共済病院迄行くのは大変だと思っていたら御幸橋を渡った所で暁部隊の兵隊さんが「怪我人は此のトラックに乘れ!」と云って呼びかけて居て下さった それでこれは助かったと思って早速乘せて頂いた 乘った瞬間車上の坊やがハレルヨーゝと云って泣き叫んでいた 此の車はこれから比治山橋へも怪我人を連れに行って宇品の市営桟橋の所迄行った **裏 貞徳ミヤコ 六十二才 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 |