識別コード | GE23-28 |
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絵の内容 | 5、6才の重傷の男の子の手術 |
作者名(カナ) | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) |
作者名(英語) | HARADA Midori |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)10:00頃 |
情景場所 | 広島陸軍兵器補給廠 |
情景場所旧町名 | 霞町 |
情景場所現町名 | 霞一丁目 |
爆心地からの距離 | 2,860m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月七日午前十時頃五才か六才ぐらいの男の子が背負われて来ました。右脛骨部に硝子の破片が深く刺さっていました。どうしても取り除かなければ化膿して足を切断するようになります。麻酔もなにもありません。せめて局所麻酔でもあればいいにと私は我が子に引きくらべて可愛そうでなりませんでした。我まんせえよもう少しだからね、と何度も何度もくりかえして云わなければ硝子が深くて中々取れません。もう取らなくてもいいよう。取らないと戰爭にまけるんだぞ。戰爭にまけてもいいよう。この苦痛にたえられない幼児の切実な訴えに全員目をうるませて手術しました。八月も終わりに近づいた時私は大熱を出してたおれました。致死量をはるかに越えた負傷者を次から次と治療して二次性放射能の症状になっていました。原爆援護法のさけばれている昨今距離によって援護を制定することが如何にナンセンスであるか良識ある判断を望みます。 **裏 原田みどり 63才 昭和二十年当時 陸軍看護婦 現在 診療放射線技師 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 | 麻酔なしの手術に耐える男の子 絵・文/原田みどり氏 1945(昭和20)年8月7日午前10時頃 爆心地から約2,700m 霞町(現在の霞一丁目) 「5、6歳の男の子が背負われてきました。右脛骨部にガラスの破片が深く刺さっていました。取り除かなければ化膿して足を切断するようになります。麻酔も何もありません。『がまんせえよ、もう少しだからね』と何度も何度もくりかえして言いますが、ガラスが深くて中々取れません。『もう取らなくてもいいよう。』『取らないと戦争に負けるんだぞ。』『戦争にまけてもいいよう。』幼児の切実な訴えに全員目をうるませて手術しました。」 絵中の説明文より抜粋 |