トップページ原爆の絵地下室へ逆さまに落ちている自分、柱を伝って脱出した
識別コード | GE23-05 |
---|---|
絵の内容 | 地下室へ逆さまに落ちている自分、柱を伝って脱出した |
作者名(カナ) | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) |
作者名(英語) | Miyako Sadatoku |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 広島県農業会 |
情景場所旧町名 | 国泰寺町 |
情景場所現町名 | 国泰寺町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,000m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 2 元農業会の地下室 8/6日 氣がついた時は真暗でした。もう此の世の終りと思い死を覚悟して南無阿弥だ仏とお念佛を唱へて居ますと周囲がだんゝ明かるくなり「アラッ」と驚き死ななくてすんだと何んなに嬉しく思ったかわかりません。其處は床上ではなくて地下室に落ちて居たのです。あたりを見廻しますと机や腰掛が右往左往していました。そして自分の手は血みどろけでした。それで私はこゝを脱出しなければと思い足を抜こうと思いましても右足の方は抜け切れず靴をはずさなければならない始末 思いきって靴を捨てる気になり片足だけ靴を穿いて近くに横たわって居る四寸角位の柱を恐るゝ伝って地上に出る事が出来ました。其の時先程迄百人余りの同じ事務所の方々の姿は誰一人見つかりませんでした 私が地下室に落ちた時の怪我は左頬の耳の前へ一糎角の硝子の破片が連なって二ヶ所入って居ました そして左足膝頭に横六糎位切り深さ一糎半の傷を負いました 此の時1階で100人余りの方と朝会を共にしたのだけれど誰1人の姿も見つからず声すら聞こえませんでした 明かるくなった時助けて助けてと私も叫びました。けれども上記のようなことで思いあきらめて幸にして近くに4寸角位の柱が地上にかけて横たわっていましたのでそれを伝って地上に脱出しました 地下室へさかさまに落ちている自分 恐るゝ伝って出る所 地上 **裏 貞徳ミヤコ 六十二才 |
サイズ(cm) | 38.5×54 |
展示の説明文 |