識別コード | GE22-13 |
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絵の内容 | 水を求める声、数百人の死体の山 |
作者名(カナ) | 糸原 正義(イトハラ マサヨシ) |
作者名(英語) | Masayoshi Itohara |
当時の年齢 | 29歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)3:00頃 |
情景場所 | 工兵橋付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 2,320m |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | **絵の中 忘れられない、八月七日の現况朝三時宇品町昭和通り四丁目自宅を妻に生まれた、六ヶ月の長女マチコを背をい、僕は自転車に荷物を積んで矢口駅より三次に汽車が通ふ人話に先づ妻子は口南村の里に送る為走いて比治山下、広島駅前、経由牛田工兵橋附近で夜明け一休しようと思って櫻土手下、被災者の山、水をくれい、の呼声だけ工兵橋が渡られるので向ふなら、休めると思っても数百人の死の山、三拾年たった今も私の頭に去らない。 糸原正義 原爆の絵 頭に残る死体だけ 太田川 20.8.7夜明現在 道 工兵橋 工兵隊焼後 守衛後 中隊焼後 中隊焼後 水を求める声だけ 櫻の木 櫻土手 矢口ニ至ル 道 広島駅 牛田陸軍演習場 山 演習場 民家焼残り少しあり 記憶にない 僕は現役兵で北支転戰十三年三月二十八日除州戰で手榴弾で左手切断。功七級勲八等は何もならぬ。金も勲章もいらぬ手がほしい。政府をうらんでも何所に言ふ事も出来ず なやんで居る戰爭はいやだいやだ戰爭をしてはならない。何時迄も平和を祈り戰死した戰友の冥福を祈る。 元長野部隊沖大隊長尾中隊 元陸軍歩兵伍長 糸原正義 |
サイズ(cm) | 25.5×36.5 |
展示の説明文 |