識別コード | GE22-10 |
---|---|
絵の内容 | 電車道に倒れている母と子 |
作者名(カナ) | 大成 徳夫(オオナリ トクオ) |
作者名(英語) | Tokuo Onari |
当時の年齢 | 37歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)16:00頃 |
情景場所 | 鷹野橋付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,200m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月六日午後四時頃 鷹野橋(?)附近 当時私は宇品の船舶司令部に嘱託として勤て居りました 被爆しました私は幸にして左手に僅かなガラスの破片にて微傷したに過ぎませんでした午後私等は手分して同僚の安否を尋る事になり県庁や駅に乗物はなく徒歩に行く途中此の近くで被爆したのか亦此処迄のがれて来たかはわかりませんが三十五、六才の婦人が傷ついた七才位の女子と二才位の幼児を連れて電車道に倒れて居りましたが七才位の女の子は死んで居り抱いて居る幼児も既に死んで居りました しかし婦人は死んだとは思って居なかったらしいです 其の婦人は頭髪も眉毛も焼けひたいにも傷を受け瞼はふくれ眼はつむり口唇もふくれ上て居りました 私の通る靴音を聞て水をつかあさい(下さい)水をつかあさい(下さい)と微かな声で叫んで居たが今尚耳に突刺て居ります 県庁に行き二時間位後に其処を通る時には既に婦人も息絶えて居りました 一寸足を止め心で合掌して次の行動に移るべく通り過ぎました 毎年八月の当日が来る度に思い出されせめて胸の名札を手帳に記して帰ればよかったにと今も相済まない気持ちで一杯です 昭和五十年六月三十日 至て絵が下手な為実感が出て居らないのが残念です 大成徳夫(六十七才) 農業 |
サイズ(cm) | 26×36.5 |
展示の説明文 | 母は子の死に気づかず、かすかな声で水を求める 爆心地から1,200m、鷹野橋付近(大手町) 1945(昭和20)年8月6日 午後4時ごろ 大成 徳夫(原爆投下当時37歳、絵を描いた時67歳) 絵中解説 35、6才の婦人が傷ついた7才ぐらいの女子と2才ぐらいの幼児を連れて、電車道に倒れておりました。7才ぐらいの女の子は死んでおり、抱いていた幼児もすでに死んでおりました。しかし婦人は死んだとは思っていなかったようです。その婦人は頭髪もまゆ毛も焼け、ひたいも傷を受け、まぶたはふくれ眼はつむり、唇もふくれあがっておりました。 私の通る靴音を聞いて、「水をつかあさい(下さい)」と微かな声で叫んでいたのが、今なお耳に突刺さっております。 県庁に行き2時間ぐらい後にそこを通る時には、すでに婦人も息絶えておりました。 |