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トップページ原爆の絵ヤケド負い水を求める人々

原爆の絵

識別コード GE21-29-1
絵の内容 ヤケド負い水を求める人々
作者名(カナ) 有吉 コサダ(アリヨシ コサダ)
作者名(英語) Kosada Ariyoshi
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/8~8/9
情景場所 舟入川口町
情景場所旧町名 舟入川口町
情景場所現町名
爆心地からの距離 2,200m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **別紙(絵に貼付)
広島原爆の想起一例
八月六日空襲、爆弾投下により市内は全焼せるも身寄りの被爆者を探すため市内に入りたいが七日も全市燃へ続き八日早朝より安佐郡長束より三篠経由入市するも道路は家屋倒炎瓦壁土等にて埋めつくされ見当にて屍の山を踏めつつ進入その途中三篠橋上に全身焼けただれた中学生が大切そうに自転車によりかかりあへぎつヽ私の持つている水筒を見つけほしがり一瞬考へたことは三分二以上の焼身者には水を与へてはならないと聞いていたので そのことを教へるも聞きそうもないので余りにも可愛想なので僅かを与へさとし見励まし次を急ぎ焼津神社近く迄やつと岐り着き常葉橋上より浅野泉邸方面を眺める処太田川が丁度満潮にて下流より死体数十否数百陸続きと浮上或る者は上向に或る人は屍を上になり全く男、女老若の区別のつかない言語に絶する惨状であった、その中に探し求める相手も居るやも知れないがそれも叶わず 
 人間以外に更に軍馬か馬車馬が数頭が浮いて居る 二、三頭は半焼の姿で浅瀬で力なく立ち飼主を待つて居る姿が実にいぢらしい
 このような状況は恐らく全市に及んで居るものと想像された。
 当日は日没も近くなり元のコースを引返し引揚げる途中三篠橋上の中学生はやはり既にこと切れていた。 
 翌九日更に八丁堀から本通り中ノ島方面と終日探し求めても只一人も発見することも出来なかつた。原子爆弾であつたことも知れない当時の一部を託して見ました。
以上
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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