識別コード | GE21-26 |
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絵の内容 | 京橋川を自分が舟にのり流れているところ |
作者名(カナ) | 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) |
作者名(英語) | Yoshiko Tokutomi |
当時の年齢 | 34歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00~14:00頃 |
情景場所 | 鶴見橋 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,650m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月六日 午前九時-午后二時頃 京橋川鶴見橋 舟 背中にゴザをかぶって避難しているところ 三十年前の戦争の現状自分です 畳 川岸の二階家から(ぽと)んと落ちて流れておられた 十才ぐらいの男子弟三人で父母をさがすも不明であったと上の兄が帰って砂の上の畳でしょんぼりとしてゐるので四人お家族の方がさがされるのに目につく様にと寝した (流れてゐた畳 潮がひて砂の上に敷) 外傷顔面手火傷十才長男 外傷二男 無傷笑てゐた四男四ヵ月 外傷顔面手火傷三男 周囲の火災もおちつき府中町に向かって帰る時の、出来事で四人子供の状態が現在も心残で戦争の被害は「そこなしで」子供がまきぞえで二度としてはいけません。戦争はごめんなさいね お願 |
サイズ(cm) | 28×87 |
展示の説明文 |