トップページ原爆の絵川土手を牛田方面を目指して逃げる被災者たち、饒津神社が炎につつまれている
識別コード | GE21-12 |
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絵の内容 | 川土手を牛田方面を目指して逃げる被災者たち、饒津神社が炎につつまれている |
作者名(カナ) | 宮沢 静一(ミヤザワ シズイチ) |
作者名(英語) | Shizuichi Miyazawa |
当時の年齢 | 41歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)午前 |
情景場所 | 饒津神社前、京橋川沿い |
情景場所旧町名 | 二葉の里 |
情景場所現町名 | 二葉の里 |
爆心地からの距離 | 1,800m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 原爆の繪 八月六日午前 牛田山方面をめざして逃げまどう被爆者の群 熱線で全身大火傷 服は裂け血は流れさながら焦熱地獄のいたましい姿 饒津の社も火災に包まれて今は神様の力もどうすることもできない 噫!! このとき私の父は!!母は!!そして又愛しのわが子はどこてどうしていたのであらうか 遂に永久に帰らぬ人となってしまった 静一画 **裏 宮澤静一 この絵は私が白島中町で被爆直後、京橋川右岸に避難していた時、目撃した状況を想い起して描いたものです。 |
サイズ(cm) | 54×77 |
展示の説明文 | 手を前に突き出したまま、郊外に向けて黙々と足を運ぶ 爆心地から1,850m 二葉の里 1945(昭和20)年8月6日午前 宮沢 静一(原爆投下当時41歳、絵を描いた時71歳) 絵中解説 牛田山方面を目指して逃げ惑う被爆者の群れ。熱線で全身大やけど、服は裂け、血は流れ、さながら焦熱地獄のいたましい姿。饒津の社も火災に包まれて、今は神様の力もどうすることもできない。ああ、このとき私の父は、母は、そしてまたいとしのわが子はどこでどうしていたのであろうか。ついに永久に帰らぬ人となってしまった。 |