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原爆の絵

識別コード GE20-19
絵の内容 被爆体験の問答集
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
原爆・私の被爆体験・一問・一答
問い 廣島市のどの位置で被爆したか
答え 基町旧陸軍幼年学校内赤穂部隊で
問い 爆心地からの距離と天候は
答え 爆心地より北方九百mの地点天候晴朗
問い 原爆が投下された直前何をしていたか
答え 赤穂師団司令部内より窓越しにBを見ていた
問い 原子爆弾が落下するのを目撃したか
答え B29は海田方面上空を南に向っており氣付かず
問い 原爆の炸裂音を聞いたか
答え 炸裂音は全く聞かず
問い 直接強力な線光を受けたか
答え 上半身は受けたが戦闘帽に軍服を着服で熱い程
問い 強力な爆風にはどうであったか
答え 強力な線光を受けると同じに吹き飛ばされた
問い 以後どのやうな状態になっていたか
答え 氣絶状態で全くわからない
問い 氣絶状態が回復し氣付いた時はいかに
答え 吹き飛び崩れ落ちた司令部の底に埋れていた
問い 崩れたガレ木の底からどのやうに脱出したか
答え 左足を大木に挾まれていたのだが奇跡にぬけた
問い 怪我はどの丁度であったか
答え 頭部から鮮血が流れ出左足にカスガイが立っていた 死の叫びを再度はりあげた
問い ガレ木の底から脱出した時附近の状況は
答え 修羅の地獄で足の踏み場もなく難儀をした
問い 師団長は司令部で被爆をしたか
答え 不在であり師団副官升下中尉が居た
問い 被爆された師団副官はどの状態か
答え 司令部付将兵に対し優しい方 被爆死された
問い 司令部内に他の髙級将校は居たか
答え 軍曹が髙級参謀に助けられたので居たはず
問い 被爆時司令部内に将兵はどのくらい居た
答え 九州え他の地え兵器の調達に行っており被爆直前には司令部内に四・五〇名居た
問い どれだけ被爆死し助かったか
答え 将兵のほとんど爆死重傷にて私友に三名か四名助かる
問い 司令部が崩れて全将兵はどの状態か
答え そのほとんどの者がガレ木の底うめきの声々
問い 火災が発生したか
答え 炊事場が強烈に燃え次の兵舎へ類焼をした
問い 舎外で被爆した将兵はどの状態だった
答え 特に悼ましかったのは衛兵隊吹き飛び体はばらゝ
問い 重傷の身でどのやうにして逃げたか
答え 意識もうろうでどの方向に逃げてよいやら知れず
問い 被爆して幾時経っていたか
答え 正確にはわからないが被爆後三〇分前後
問い その場所に居ては火災が発生しているのだが
答え 陸軍幼年学校の正門の所えがむしゃらに来た
問い 正門の場所から見た軍の各所在部隊は
答え 旧五師団司令部は燃えており旧歩兵十一聯隊も同じ
問い 他に部隊が所在して居るはずだが
答え 野砲隊は燃えており輜重隊陸軍病院も大火
問い 数多くの将兵が各部隊に居たはずだが
答え 全く将兵の姿見えず重傷者を数名見ただけ
問い 市の中心部はどのやうな状態だったか
答え 私の口では言ひあらわせないどす黒く赤々と炎
問い どの方面に向かって避難をしたか
答え 附近に陸軍火薬庫があり危険で正門の場を立つ火薬庫の前を通り三篠橋の方へ向った。
問い 三篠橋から西白島附近の状況は
答え 全く人の姿は見えず皆家の下敷になっていた
問い その附近の火災発生状況は
答え 三篠橋附近の一部が燃えており西白島町は火の手の上がるのがとっても遅れていた
問い 被爆後幾時経っていたか
答え 正確にはわからないが被爆して一時間くらい
問い 原爆の恐ろしさといへんを感じたことは
答え とかく不思議な現象だらけでなんどとちまよった事か知れない
問い どのやうな現象がおこったか
答え 強烈の線光で二・五キロ先の山の松が燃えていた
   二・五キロ地点に紙屋町ボール紙が飛んでいた
   艦載機の機銃掃射だと思っていたら黒い雨
   風向きがちくじ変り被爆一時間後西北に変る
問い 被爆して重傷を負っていたのだが
答え 長寿園に横たえていた足の出血が止らず困った
問い 長寿園にいつごろまで居たか
答え 正午頃迄居たが工兵隊が燃え弾薬庫えの引火を恐れ長寿園を去る 大田川の中を歩く
問い その附近での被爆者の状態は
答え 長寿園にて息絶えし者数名負傷者はまばら
問い 食事はどうしたか
答え 二日半食は全々受け付けず。水だけ飲む
問い 傷の手当はどこで受けたか
答え 戸坂村小学校デ応急手当を受けた
問い 戸坂村小学校に被爆者がどれだけ居たか
答え 時間が経つにつれ校内は被爆者であふれた

右原爆・被爆体験 私の一問一答は廣島に原子爆弾が投下されて爆心地より北部を物語ったものです 被爆重傷者のいたましい光景ははかり知れぬ程に有りましたが略させて戴きました
特別被爆者 浜田善雄
サイズ(cm) 40.5×74.5
展示の説明文

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