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トップページ原爆の絵昭和18年頃の原爆前の中島本町周辺の見取図

原爆の絵

識別コード GE20-18
絵の内容 昭和18年頃の原爆前の中島本町周辺の見取図
作者名(カナ) 内山 新助(ウチヤマ シンスケ)
作者名(英語) Shinsuke Uchiyama
当時の年齢 46歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1943頃
情景場所 中島本町(現在の平和記念公園付近)
情景場所旧町名 中島本町
情景場所現町名 中島町
爆心地からの距離 250m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
昭和十八年頃の原爆前の見取図
20年八月八日中島出て焼残り■■富士海上火災保険だけ
焼残り 元安川
島より船来り、焼残り
今日は状況公園より
天神町通り
商店街
中島本通り筋
飲食店夛シ
料理屋夛き場所ナリ
中島本町通り 商店街
僕の友人 全部死亡
相生橋通りナリ
特に小路の沢山有りた
内山新助 七十七才
**別紙(絵に貼付)
当時公会堂富士海上保険・元安橋根運動 焼残り
昭和拾九年に当公園及び原爆資料館当りは非常なる人家の夛い所なり 殊に中島本町は非常なる繁榮する商店街 恐らく中島町材木町上柳町下柳町で人口恐らく一万人の方が住居して居られた 全部死亡された思ふに爆心地に近い関係只々学生子供疎開された関係たすかる 公園内焼死体の沢山有りた場所なり
◎歩行を通る方御命暫■下■■
サイズ(cm) 46.5×33.5
展示の説明文

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