トップページ原爆の絵西練兵場から逃げて来た兵隊たちの幽霊のような行列、手当を受けに戸坂に向かう
識別コード | GE20-08 |
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絵の内容 | 西練兵場から逃げて来た兵隊たちの幽霊のような行列、手当を受けに戸坂に向かう |
作者名(カナ) | 貝川 百合子(カイカワ ユリコ) |
作者名(英語) | KAIKAWA Yuriko |
当時の年齢 | 15歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | 牛田から戸坂へ行く途中 |
情景場所旧町名 | 牛田町 |
情景場所現町名 | 牛田旭 |
爆心地からの距離 | 3,500m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 命からがら西練兵場から避難して来た兵隊さん達 皆、一様に帽子がやけて、帽子の縁より出ていた毛髪は全部やきつくされ、顔は、ゴム風船のように膨れあがって両手はズルリと一皮むげてゴムのように垂れ下り、さながら幽靈の行列であった。 上半身は裸で火傷 手当を受けに、牛田より戸坂へ 貯金局の人 私 包帯 重傷者を輸送の軍隊のトラック 口も大きくはれあがっていた。 私は、一緒に逃げた將校のグループの中の兵隊さんに応急手当を受けたが、重傷者は、戸坂国民学校にて陸軍病院が手当てをするから来るようにとの連絡で、二十三、四才の貯金局の女の人を牛田から戸坂まで歩いて連れて行く。途中、動けぬ人達は、軍隊の自動車(トラック)で輸送されるのを何台か見送る。兵隊さん達も灼けつく暑さの中を延々と歩いて行かれた。六日は空襲警戒警報で明け、翌、七日は、早くも罹災証明書が発行になったので、学校の机を出して無傷の兵隊さんと、証明書発行の手伝いをする。此の間にも"水を""水を"と叫び乍ら、夛くの被災者の方達は、次々に苦しみの中に亡くなられた。 |
サイズ(cm) | 53.5×38.5 |
展示の説明文 |