識別コード | GE19-30 |
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絵の内容 | 江波山トンネルに避難した人々 |
作者名(カナ) | 川口 シマ子(カワグチ シマコ) |
作者名(英語) | Shimako Kawaguchi |
当時の年齢 | 22歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7~8/17 |
情景場所 | 江波山トンネル内 |
情景場所旧町名 | 江波町 |
情景場所現町名 | 江波二本松 |
爆心地からの距離 | 3,600m |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | **絵の中 江波山トンネル あの時すでに人が立って歩ける位 上部だけ完全に貫通していた。入口は砂をかき出した砂山を登って出入りした。火傷を負って帰った母を私等家族と隣組の人等との協力で素人療法が始まった。重曹(タンサン)を水でとかし脱脂綿で傷口をふき馬鈴薯をすり金でおろし重曹を混ぜ合せ布切れに伸ばして傷口に張るのである。朝夕何べんともなく取り替へる度の母の苦しみ。ヒイヒイと悲鳴をあげ乍らもよく堪へた。母の身内から解熱に良いと小豆や馬鈴薯をどんゝゝ運んでくれたお陰でも有る。又トンネルの中が予想外に涼しく傷に良かったのかも知れない。母は七十七才の生涯をおえたが今もトンネルの上層部(天井)の部分を見る度にあの過ぎし日が浮んで来ます。 一緒に避難した人等も不思議に傷も負っていない人等がまるでひっそりといつの間にか死んで行かれました。 昭 20.8.7-17日 三菱重工業 忘れられた様にトロッコが一台 私等は隣の人等と一緒にトンネル内に避難した 川口シマ子 **裏 川口 シマ子 |
サイズ(cm) | 54×38.5 |
展示の説明文 |