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原爆の絵

識別コード GE19-29
絵の内容 相生橋周辺のようす
作者名(カナ) 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ)
作者名(英語) KAJIYA Suemi
当時の年齢 37歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時
情景場所 相生橋周辺
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
本川小学校の校庭を整理しましたが夛くさん小学生が死んで居り又道路を掘って元の道路の地面にもカバンを肩にかけたまヽ泥の下になり死んだ姿は涙なくしては見られない哀れな姿でありました。
本川小学校
十日市至る
道路
中島
草岸
道路
道路
紙屋町至る
一、 昨年は川の中を書きたいと思いましたが何分私はお見かけ通り絵が下手なので書きませんでしたが今年は下手ながら書いて見ました。とても私のような絵では、あの時の、悲惨な状態を心に感じて見て貰うように表現することが出来ません。今の中島公園も昔はみんな木造建の家が立ち並んでいました。それが八月六日に威力の強い爆風にて吹き飛ばされ重い壁土や、瓦等は道路に落ちて積り、又川の中に落ちたのは水の底に沈み、家の梁や、柱、タルキ等が入り乱れて水の上に浮いて居り、その木の中に夛くの人が挟まれて死んで居りました。原爆の放射能と、火が燃えて体が熱いので夢中で水の中に飛び込んだのだと思います。地上も、川の中も死人の山で、死なれた姿は、男も女も、人間の肌色でなく、赤茶色になり放射能のためか体が大きく、太く腫れて死んで居りあの時の、現状を見た者でないと、あの哀れさを悲痛を感ずることが出来ないかと思います。昔は、広島の川辺りが、みんな草岸で十五度位いの傾斜でありました。私等がその草岸で死人を積み重ね焼いて整理を致しました。
一、 原爆ドームの前にいた女の人は、爆弾が投下されると同時に、子供に怪我をさせまいと、抱いて地上に伏った為に子供も助かり、母親の体、前側だけが元の体で大きな乳房をして居り、それに子供が大木に登るような恰好で乳房を握り乳を吸うて満腹になれば降りて相生橋近くまで這うて行き、又後に帰えって乳を吸うていました。その母親は何人が座らせたのかわかりませんが、頭や、顔、背中、足等は焼けたヾれ、哀れな姿で、唯、胸と腹だけが元の体で、然し意識は不明で間もなく死んだものと思います。子供は元気でしたから誰れかに助けられ育てヽ貰った事と思います。今生きていれば三十一才位いかと思いますが、どうぞ現在元気な若者となっていて下さるよう私念願するものであります
各位  鍛治屋末美
サイズ(cm) 47.5×59.5
展示の説明文

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