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トップページ原爆の絵夜の黄金山

原爆の絵

識別コード GE19-26
絵の内容 夜の黄金山
作者名(カナ) 神田 イツコ(カンダ イツコ)
作者名(英語) Itsuko Kanda
当時の年齢 42歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時
情景場所 広島大学病院から望む黄金山
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
十一. 広島大学病院での感想
被爆後三十年、未だに後遺症になやむ被爆患者、幾十名?入院治療を受けている。私のいる部屋にももう一人、被爆患者が、歩くこともまゝならず月の光の下、今宵も亦、泣いている。夜も昼も泣いてゝ赤く泣きはれた目に、浮ぶ涙、充血した目に、原爆の恐ろしさを、まざゝと私は見せられ、その気の毒さに、泣きゝその人の話をきいた。この人は直接放射能を浴びたのではなく、あの日全身に焼どなさった御主人の看病を、うみ血の流れる体を、毎日ふき取り、薬をつけて看病をなさった、と。その時、第二次放射能を全身にあびた人
月は中天にかゝり
黄金山のりょう線は
くっきりと夜空に浮ぶ
五月晴のさわやかな
一夜…こゝは
広大病院の一室です
その奥さんが、いつの間にか、二次放射能で体を虫ばまれて、今日のような体になった。現在腸が破れて、穴があき、(左脇腹)赤いぶ気味な姿を見せている。汚物は、そこから流れ出ている
日夜、流れ出る汚物を、整理するのに、夜もろくゝ眠れず時に出血あり。珠の汗を流し乍ら、泣くゝ自分一人で、その處置をする。おまけに腰椎の一部がくだけているので、立つことも難かしく、時には、手足がシビれて、自由がきかず、手のものを取り落したりなど、見るも聞くも、あわれな人です。特に、汚物處理に用う紙や綿、ガーゼなどの費用は一ヶ月一万円を越し、馬鹿にならぬ。一ヶ月六千円程度の介護手当など貰ったって、火に水、消えて失う。そんな費用を子供らが負たんしてくれてるけど、子供等も可愛そう。それなら一ソ、死んでしまいたい。幾度か、死を考えたけど死に切れずと泣くゝ話して下さる姿に、まざゝと第二次放射能の恐ろしさを、知らされたのです。これが、この人の運命だと、云い切っていヽものであろうか・・・・・焼どされた御主人は健在、毎日見舞に来ていられる…人それゞに目に見えぬ運命の糸に引かれ、前世の因縁によって、生きているとお説教で聞いてはいれど、何と云う残酷さであろうか、月を見る度、この人のことを、生涯、私は忘れられないことでしょう。→病院での感想、以上
サイズ(cm) 51×36.5
展示の説明文

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