識別コード | GE19-25 |
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絵の内容 | 説明文 |
作者名(カナ) | 神田 イツコ(カンダ イツコ) |
作者名(英語) | Itsuko Kanda |
当時の年齢 | 42歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **絵の中 P-10. ⑨あとがき続き、 人類史上、最初の原爆、草も木も枯れ、芽さえ吹き出さぬ植物もあると聞く。そんな毒物を吸い、高い温度の1光熱、之をまともに受ければ人も馬も即死。全身にやけど、キズなど受けた人は、次々と死んで行った。かろうじて今迄、生き延びて、来た人でもとかく体の不調を訴えている人が夛い。こうした人類初の原爆が人体に及ぼす影響が、どうなってゆくのか、(まだその決着は、ついていない。原爆研究所で、研究を重ねられているが.)從ってそれに対する治療の方法はまだ見つかっていない。原爆症の治療は全く未知数であろう。特に、各人それぞれの違った形で出て来るであろう。色々な病気・その治療を、如何にすべきか、現代医学ではまだ判ってはいないのが実情であるらしい。先般から広島大学医学部の一部に原爆医療研究所が出来、先日、私もとうとうそこ迄行って、 ⑩あとがき続き. 診察を受けた。入院して更に精密検査の要あり、とのことで、唯今、入院中の院長先生の了解を得て、原医研に入院を希望して来たが、ここのベッドは数が少なくて、なかなかすぐには入院出来ない。いつ迄待たねば、ならぬやら…。あちこち迷わずに初めから広医大の病院で、検査して貰っていたらば、今日こう迄、難儀はしなかったであろうに、と、今更のように悔やまれてなりませんが、今更どうにもならぬ後のまつり。ともかくも一日も早くここへ入院して、徹底的に、原因調査をして貰い。治療をして、早く元の体に戻りたい。ともすれば先の希望さえ薄れゆく此頃です。もう之以上は無理、無理は禁もつ、書く度、ことは山々あれど、之で筆をおきます。 終り。 追記、=まもなく広大病院に入院し、一ヶ月餘り、色々なことがありました。特に三名の死者が出、その中、二人までが、七十才以上の被爆患者であったことは、ショックです。一日も早く、被爆者対策が急がれて、なりません。 |
サイズ(cm) | 51×36.5 |
展示の説明文 |