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トップページ原爆の絵説明文

原爆の絵

識別コード GE19-24
絵の内容 説明文
作者名(カナ) 神田 イツコ(カンダ イツコ)
作者名(英語) Itsuko Kanda
当時の年齢 42歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
P-9.
⑦被爆者の願い.
吾々は、原爆で家を家財を一切失い、又は、親を、子を失い、主人を亡くし、ようやくここ迄生き抜いて来た。その間国から頂いたものは、被爆者手帖(医料無料?)唯一つだけ。死んだ者は、死に損、家を焼いたものは、焼かれ損、何等のべん償も受けてはいない。今更、死んだ者を、かえせ、焼いた家を戻せとは云わぬ。而し次の願いを、よく考えられて、被爆者の願いを心を、理解し、善處して欲しい。
① 家を焼かれた者には、小さくてもよい、心安く住める住居を、
② 年々老いゆく被爆者の中には、生活に困っている人も夛い。そんな方には生活保証を、
③ 病気になったら、気安くはいれる病院を、そして、安心して死んでゆける、場所、つまり施療院を、一日も早く設置して欲しい。
④ 特別、被爆手帖など頂いたのは有難い。治療が無料?而し健康保険の掛金は、年々増額している。決して、ただではない。之を改善して欲しい。
⑤ 七十才を過ぎた今少しばかりの恩給があるからと云って老齢年金も貰えず。
⑥ 年二回受けている、原爆検診は有難いが、極めて雑・不親切さを感じる。人数が夛いので無理もないであろうけれど、何の頼りにもならない。以上のこと、考慮して善處して欲しい。⑧後とがき 被爆者と病気について.
被爆者はいつどこでどんな異変が体の中に起こるか、分からない。一抹の不安を常に抱いている。普通の人以上に、一たん病気になると冶りが遅い。これはどうしたことであろうか?現在私の体は、えたいの知れない難病?(血液異状)?何か分からない。三つの綜合病院で、精密検査を受けたが、どこも悪いところはない。との診断で、「原因が分らなければ冶療の方法もない」とのことで、何等の手も打って貰えず、二月始め頃から、体中が痛くて、頭が変に重く、歩く足は鉛をつけたように重く、少し歩けばすぐ疲れ、横にならねば座っても立っても居られなくなる。それは、血沈指数が120~140普通の人の十何倍にも当る、とのこと。それが原因かどうか分からないけれど、最近、食欲もなくなり、体重は七、八Kも減ってしまった。気の持ちようだ。病は気からと云うではないか。血沈指数なんか気にすることはない。どこにも病気はないのだから、と自分で自分に云い聞かせ、何くそと、動けば足がもつれ、フラつき、頭が重くて、夜はろくろく眠れない。食欲も出てこないし、從って、体重は減るばかり。何ともえたいの知れない、体になってしまって、唯今は、体の衰弱を取り戻す為、入院して、毎日栄養補給の点滴など医師の治療を受けていますが、少しもよくならない 依然として、指数は140を示している、状態で困っています。
サイズ(cm) 51×36.5
展示の説明文

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