識別コード | GE19-20 |
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絵の内容 | 電車内で被爆した様子 |
作者名(カナ) | 神田 イツコ(カンダ イツコ) |
作者名(英語) | Itsuko Kanda |
当時の年齢 | 42歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)朝 |
情景場所 | 十日市停留所付近 |
情景場所旧町名 | 十日市町 |
情景場所現町名 | 十日市町一丁目 |
爆心地からの距離 | 700m |
ブロック別 | 十日市・中広地区 |
作者による説明 | **絵の中 P-4 ②-一. 満員電車 その(一) その(ニ) 八月六日の朝のこと。(死んだ主人のその日の話) ピカット!せん光一過! それから乘客はみな折り重ってしょうぎ倒しとなり、主人は下敷になったまゝ気を失った。爆心地から三、四百米の地点。 乘客の下敷になった。それから何分か何秒か後、気がついた時には、車内には誰も居なかった。体中どこにもけがらしいものはしていない しかし、片方の耳は、それ以来、何も聞えなくなった。 中心地近くで被爆して、けがはなかったと喜こぶには早かった。死は十日過ぎに待っていたのだ。(十七日夜亡くなった) 原爆ドーム ②-2.八月六日のこと、続き。 昼過ぎに乾パンの配給を受け三滝山の林の中で急に降り出した黒い雨をさけ乍ら頂く。味はなかった。その後各町内別に避難場所へ集合するよう指令が廻った。一所に逃げて来た子供等は、親類、兄弟に引き取られて、それゝの道に山を下り、分れて行った。私もようやく家のことが気にかゝり出し、山を下り、途中で二人の娘たちに出逢い、ともかくも命のあったことを喜こんだ。父親には明朝ようやく逢えた。四人は無事を喜こび合ったが、主人は八月十七日夜、死んで行った。原爆症であることは、ずっと後程判明したのでした。主人のその日の経過を大畧説明致します。放射能の恐ろしさを皆様に知って頂く為に。主人はあの朝、出勤の途中十日市停留所近くで被爆した。ラッシュアワーの満員電車のつり革にブラ下って・・・・この電車はいつまでも残がいをその場にさらしていた。 その(三) 窓ガラスの破片 こゝまで出て来て、たおれた人々。 |
サイズ(cm) | 51.5×36.5 |
展示の説明文 |