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トップページ原爆の絵死体を運んで行く兵隊に、女の人が助けを求めるが、兵隊は知らん顔で通り過ぎる

原爆の絵

識別コード GE18-24
絵の内容 死体を運んで行く兵隊に、女の人が助けを求めるが、兵隊は知らん顔で通り過ぎる
作者名(カナ) 金光 徳容(カネミツ トクヨウ)
作者名(英語) Tokuyo Kanemitsu
当時の年齢 7歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所 南観音町の川土手
情景場所旧町名 南観音町
情景場所現町名 南観音町四丁目
爆心地からの距離 2,700m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
現場、広島市南観音町、 

原爆が投下されたその翌日の八月七日だったと思います。現在そこはマンションが建ち工場もありませんが、その頃は、林のように立っていた木々も今は二本残っていました。二本の木の内のたしか南側の木の下に寝ていた。二十才くらいの女の人が全身にやけどを負って苦しさの余りころげもだえながら。子供ながらに半ぱ興味本位に見ている私達を見てボクちゃん水をちょうだい水をちょうだいと金切声で叫んで居りました。私の母は絶対に水をやっちゃいけんよ、水をやるとすぐ死ぬけん、といわれこわくなりただ見ているばかりでした。友達の一人が姉ちゃんどこから来たんやとたずねるとたしか皆実町から来たといったと思います。方向感覚を失いそこへたどり着いたものと思われます。兵隊さんが大八車で死人を拾い集めてむぞうさに積んで通り過ぎていく時それを見た女の人は兵隊さん助けて!兵隊さん助けて!と叫んでいましたが兵隊さんは知らん顔で通り過ぎていきました。少しでも息があればほうっておって死人のみを集めているようでした。夜が来ても夜なか中助けてちょうだい助けてちょうだい、苦しい、殺して、と叫んでいましたが明る朝起きて見るとその声はもうありませんでした。その女の人は死んでいました。そのとなりに寝ていた人も死んでいました。川には多くの死人が真赤にはれ上った風船のようになって流れていましたが潮が満ちると又上へ流れて入って来ていましたがその内だんだん沖に流れて消えていきました。
**裏
広島で生まれ、国民学校二年生の時原爆にあい高校卆業まで広島に居りました。大学が大変だった関係、卆業後大阪に住んで居ります。親兄弟は全部まだ観音町に居ります。五月の連休の時帰郷致しました、その時うちでくつろいでテレビを見ていてこの事を知り応募致しました。天満町の国民学校へ入学致しましたのですが被爆当時はなぜか二中(現在観音中学校)でした。被爆時そこが負傷者の収容所になって居りましたが負傷で満員であふれていました。親戚の兄もそこでなくなりました。絵の中の工場は硫黄工場、川向うの山手は高須 林の中の家は、たしか高上家だったと思います。
金光 德容 37才
サイズ(cm) 54×38.5
展示の説明文

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