識別コード | GE18-23 |
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絵の内容 | 臨時列車で運ばれた多くの負傷者 |
作者名(カナ) | 徳本 哲象(トクモト テツゾウ) |
作者名(英語) | Tetsuzo Tokumoto |
当時の年齢 | 45歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)15:00過ぎ |
情景場所 | 三次駅前 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月六日広島市に原爆投下され其の日の午后三時過ぎ避難者を乘せた臨時列車がおびただしき瀕死の重傷者始免百餘名の負傷者を三次駅に駅員其の他の救援隊の人々により下車せしめた。町の布令により三次、十日市両町より各常會は豫て用意の擔架を持って三次駅前に集合を命ぜられ数夛く擔架がひしめきあった 之れより数日前三次の寺院に疎開して居た呉海軍病院の人により駅前國鉄車庫が臨時治療所となり三次十日市両町の店舗より食料油一切取上げられ治療に使用された負傷者擔架で三次、十日市両町小、中学、寺院に運ばれ婦人会は負傷者の看護に晝夜無く奉仕した 此の状況は四、五日間續いた 住所氏名の不明のまヽの死者は近くの山で数夛く荼毘に付された 此の惨状は三次のみならず広島県下否廣くに亘った事と思ふ 合掌 臨時治療所に当てた国鉄車庫 **裏 徳本哲象 七十六才 **実態調査 原爆投下直後当時旧制三次中学校は負傷者数百人を学校講堂に収容し手当をしたが、全員死亡の状況であった。 |
サイズ(cm) | 54×38 |
展示の説明文 |