トップページ原爆の絵ヤケドを負った重傷の母と幼い2人の子ども
識別コード | GE17-14 |
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絵の内容 | ヤケドを負った重傷の母と幼い2人の子ども |
作者名(カナ) | 西田 輝美(ニシダ テルミ) |
作者名(英語) | NISHIDA Terumi |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)14:00 |
情景場所 | 福島川河岸 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | 福島町・都町付近 |
爆心地からの距離 | 1,600m |
ブロック別 | 十日市・中広地区 |
作者による説明 | **絵の中 8.6.14時 福島川辺で 背中を焼かれ、その痛みも忘れ、母は我が二児を助けんと焼野の川辺に水を求めに来たが飢えている水を飲ませば死に近いと云うことも気づかずか。母性本能は我が子に苦しみながら放心状態となる。 西田輝美 63才 |
サイズ(cm) | 42×59.5 |
展示の説明文 | 火傷を負った重傷の母と幼い2人の子ども 爆心地から1,600m 福島川河岸(西区福島町・都町付近) 1945(昭和20)年8月6日午後2時ごろ 西田 輝美(原爆投下当時33歳、絵を描いた時の年齢63歳) 絵中解説 背中を焼かれ、その痛みも忘れ、母は我が二児を助けんと焼野の川辺に水を求めに来たが、水に飢えている子どもに水を飲ませれば死が近いということに気づかなかったのだろうか、母親の母性本能は、死んでいく我が子に苦しみながら放心状態になる。 |