トップページ原爆の絵相生橋付近の様子、人の姿はなく遺体が散乱していた。
識別コード | GE16-13 |
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絵の内容 | 相生橋付近の様子、人の姿はなく遺体が散乱していた。 |
作者名(カナ) | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) |
作者名(英語) | Yoshio Hamada |
当時の年齢 | 26歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | 相生橋付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 300m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 本川小学校校庭 本川 中島 ご遺骨多し 相生橋 元安川 産業奨励館・現在・原爆ドーム 本局 墓所 変電所 商工会議所 広島に原爆が投下され燃え盛る街の火の衰えるのを待ち私は重傷の身にて当相生橋上まで来ました。修羅の地獄、全く人の姿は見えません。私が目撃をいたしましたのは惨たらしいご遺体の散乱。私の口で言いあらわしようもございません。只々私はご冥福をお祈り申し上げるのみでございます。まだいたる所がくすぶり相生橋上には大きな穴が橋下より上に向けて二ヶ所空いており、強力な爆風でありましたことを知りました。相生橋附近の惨状を申し伝え残させて戴きました。 赤の点線で示してございますのは私が通りました。 浜田 義雄 |
サイズ(cm) | 41.5×69 |
展示の説明文 |