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トップページ原爆の絵相生橋西側の顔半分が残った白骨死体

原爆の絵

識別コード GE16-12
絵の内容 相生橋西側の顔半分が残った白骨死体
作者名(カナ) 尾島 良平(オジマ リョウヘイ)
作者名(英語) Ryohei Ojima
当時の年齢 34歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/9/6(時刻)8:15
情景場所 相生橋西側上流
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
私の網膜より
昭和二十年九月六日午前八時十五分 相生橋西側上流

**別紙(絵に貼付)
此絵昭和二十年八月六日午前八時十五分相生橋右岸上流五六十米の処を始めて右に川原に出た所にウツブセになった白骨が頭を川上にしてゐたのを私が起したら顔の左半分が土にツッコンで居りその部分が生々しく残り目が私をにらむ様に開いてゐて土に埋もれた頭髪が五六寸位でたぶん若い女の様であった。
私は当時比治山の暁六一八〇部隊で現地自活班長で寺町の先の種苗商に牛蒡の種代を支払に行く途中先月の今日今時分ピカドンが落ちた時間と思って時計を見たので時間だけは正しい。その後目的の種屋は無く東警察の位不明の人に五百円宅して(牛蒡種五舛分)帰りその日の夕刻広島を發ち帰郷した。
現地はその后広島の人に尋ねたら本川町二丁目十二番地だそうです。
サイズ(cm) 60×85.5
展示の説明文

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