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トップページ原爆の絵三滝山での避難の様子

原爆の絵

識別コード GE16-02-3
絵の内容 三滝山での避難の様子
作者名(カナ) 匿名
作者名(英語) Anonymous
当時の年齢 42歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:00過ぎ~1ヵ月後
情景場所 三滝橋付近から三滝山
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別 三篠・祇園地区
作者による説明 **絵の中
其の(三)
三滝山
三滝橋
親は子を探し子は親を呼び西に東に→
黒い雨
手に受けて匂をかぎ、なめてもみた
・道々、方々の家から火の手が上っている
・次の空襲に備えるために
・うら門を出て河原に下り、手足を洗い衣服をわざとぬらした。
・おしっこも着のままそこで・・・・。そして洗った。
・この岸にも人がたくさん
**別紙(絵に貼付)
・河原伝いに水で体を冷やし乍ら皆だまって黙々と歩いた。山に辿りつき、ほっとする-と寒くなってきた。
・木陰に身を寄せ肩を寄せ合い丸くなって温め合った。中には気分が悪いと、口から吐く子も二、三人、顔面蒼白、血の気は全くない。昼過ぎる頃ようやく固形パンの配給あり。口にすれども味い知らず。唯放心したようにうつろな目に涙が浮んでいる。すると…。
・一天俄に、暗くなり、大粒の雨が降り出す。黒い雨だった。重油を空からまいたのではないか(呉市の例を思い出す)と、手に受けて、匂ってみる、なめてみるなど、今から思えば、ゾッとする。放射能の雨だった、とは?
・土手を行来する人無数、大声で呼ぶ人、さけぶ声、尋ね廻り泣き叫ぶ声を夢のように聞く。ただぼんやりと。
その日
・一緒に避難した子供達は幸い、その日の中に知人、親戚の人々にそれぞれ引取られて、次の避難場へつれ去られた。この子達の名も顔も、もう覚えていない。
・この子達はどうなっただろうか。
・その後一度も出会いはない。生か?死か?
・姉に背負われた妹は顔半分首後部、左手、左足首をやけどして白い布を巻いている 菜も何もないのでやけどには畑の芋の葉をもんでつけ、キズ口には野のよもぎの葉をもんでつけていた。
・この子は家の近くのお寺の分教場で、庭で遊んでいたという。やけどは、幸い少しのあとを残しただけで二ヶ月たって、快癒した。現在二人は生きている
サイズ(cm) 55×33.5
展示の説明文

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