トップページ原爆の絵校庭で朝礼中被爆。生徒や先生は傷ついた身体で三滝橋から山へ逃げる
識別コード | GE16-02-1 |
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絵の内容 | 校庭で朝礼中被爆。生徒や先生は傷ついた身体で三滝橋から山へ逃げる |
作者名(カナ) | 匿名 |
作者名(英語) | Anonymous |
当時の年齢 | 42歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6~1カ月後(時刻)原爆投下前~1カ月後 |
情景場所 | 三篠国民学校、三滝橋付近 |
情景場所旧町名 | 三篠本町一丁目 |
情景場所現町名 | 三篠町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,990m |
ブロック別 | 三篠・祇園地区 |
作者による説明 | **絵の中 其の一 空襲直前の絵(鉛筆書) 直後の絵(赤鉛筆) 門 うら門 中庭 池 私はこの部屋に居た 防空ごう **別紙(絵に貼付) 其の一 広島市打越町 三篠国民学校 八月六日朝八時一寸過ぎのこと ・夜来の空襲警報はようやく解除され ・校庭では、子供達を集めて朝会を行っていた最中で ・目もくらむ様な異様な光、に驚く間もなく ・強い力で地べたに放り倒され、子供達は折重って、その場でしばし動かず ・数分後?何秒たったか、気がついた子供らは、三々五々、豪にのがれるもの、家路につく者教室内へは入る者、無中で散って行った ・教師も同様倒れて失神、気がついた時にはもう、校庭には誰もいなかった。 ・号令台の上の教頭先生は、ふっ飛はされて四、五米先の地上で伏せたまゝ動かない。顔面、両手、両足、ひどいやけどをしていられた。(それは後から知ったこと) ◎広島の町はその後三日間、燒け続けた校舎も全燒 残ったものは 地床のコンクリートと石と、曲りくねった鉄骨だけ。 ◎この朝居た子供は約二百名、その中幾人生残ったものか、確かな数は今もって分らない。 ・先生職員の死者は十数名? (一ヶ月後の絵) 講堂は鉄筋だけ残り飴のように曲っている 「この当りでは死体を集めて焼いた跡」一ヶ月後の様子 黒く砂もコンクリ壁もよごれていた 押しつぶけた壕 この中で何十人かの人が死んでいる |
サイズ(cm) | 55×32.5 |
展示の説明文 |