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トップページ原爆の絵負傷者の手当をする保健婦

原爆の絵

識別コード GE15-27
絵の内容 負傷者の手当をする保健婦
作者名(カナ) 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ)
作者名(英語) Yoshiko Tokutomi
当時の年齢 34歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 矢賀町
情景場所旧町名 矢賀町
情景場所現町名 矢賀
爆心地からの距離 4,000m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
府中町至
あけぼの
盥 バケツ
感染予防
片河三本松至
温品府中町至
中山町温品至
広島市救護所
戦争末期の女性の流行の決戦までの頭髪です
矢賀町 岩鼻樽谷様の家を市役所が借りて災害の時の準備に二、三月前に御願して備品をそなえてありました
他の保健婦は手足の傷で市役所で安静してゐました
一人一人救護所を持ってゐましたが働きの出来のは私だけです
(火傷で全身ふくれて年不明女子学生胸の名札でわかりました)
担架を運救護班の方
家の下敷で打撲症で胸部です
健康相談所のレンドゲン技師原田さん
同様
硝子の破片が顔面にいぱい
私が鶴見橋下の干潮に拾った釘抜です多くの人に役立ました
ガーゼ ほうたい
チンク油 赤チン 消毒液 ヨードチンク ヨードホルム
かわらや硝子の上を通り足が痛いのでゲートルを拾てまきました
**裏
德冨ヨシ子63才
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文

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