識別コード | GE14-42 |
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絵の内容 | 火災の中、家にはさまれ助けを呼ぶ人 |
作者名(カナ) | 伊藤 貫一(イトウ カンイチ) |
作者名(英語) | Kanichi Ito |
当時の年齢 | 40歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8:25頃 |
情景場所 | 鷹野橋 |
情景場所旧町名 | 大手町九丁目 |
情景場所現町名 | 大手町五丁目 |
爆心地からの距離 | 1,400m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 鷹の橋附近八時二十五分頃 既に火災起り助けを求める婦人の声悲し **裏 筆者は市内千田町広電車庫横、元トヨタ自動車修理工場入口にて被爆鷹の橋己斐を経て国道2号線を宮島に帰島す 現在健在(七十才) 伊藤貫一 |
サイズ(cm) | 35×45.5 |
展示の説明文 | 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』 〔作者のことばから〕引用 どうすることもできない 突然女の悲鳴が聞こえその方を見ると倒壊した家屋の二階の窓ぎわに髪をふり乱し両手をあげて助けを呼んでゐるのである。体は梁の下敷きとなり身動きもできないらしい、階下にも「助けてー」という声がする。然しその家屋からは既に火の手が上つてゐてどうすることもできない。生きながらにして焼かれるなんて、何んと言う悲惨なことであろう。此の世の中にこんな地獄の世界があろうとは。(『被爆体験-私の訴えたいこと(上)』NHK中国本部、1977年、37ページから) 8月6日 午前8時25分頃 1,400m/鷹野橋 伊藤 貫一 |