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トップページ原爆の絵原爆投下直後白島線電車から必死の脱出

原爆の絵

識別コード GE14-40
絵の内容 原爆投下直後白島線電車から必死の脱出
作者名(カナ) 山本 節子(ヤマモト セツコ)
作者名(英語) Setsuko Yamamoto
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)投下直後
情景場所 白島線縮景園前
情景場所旧町名 上流川町
情景場所現町名 幟町
爆心地からの距離 1,300m
ブロック別 銀山・幟地区
作者による説明 **絵中
原爆炸裂直後白島線電車から必死の脱出
**実態調査
常磐橋(老婆の背に上がり飛び降りて)を渡らんとするも饒津神社や河合塾(現在の)方面も炎。縮景園の火の粉の旋風。せめぎ合い川へとぶ人のある橋で立ち往生した。その前に縮景園の前の道で立ち木が燃え落ちるので兵隊に強く押し戻されて栄橋方面への希望を諦らめ後帰りして白島線線路ぞいに常磐橋へ後戻りした。脱出した電車は燃えていた。車掌は黒焦になっていたとのこと。戦後久しく電車は残っていたが西側第五司団兵器庫の石垣の方へ、約三米ずれて、戦後久しくあった。平成七年十月現在この電車の生存者は私一人とか「電鉄KK」の記録
『電車内被爆者の証言』に当時のすべての電車の位置が地図に示され電車番号もある。
サイズ(cm) 38.5×54
展示の説明文 燃える電車からの必死の脱出
白島線
1945(昭和20)年8月6日 原爆投下直後
山本 セツコ(原爆投下当時14歳、絵を描いた当時43歳)

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