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トップページ原爆の絵夫と子供を捜して歩く。相生橋に吊るされた米兵、火傷した馬

原爆の絵

識別コード GE14-10
絵の内容 夫と子供を捜して歩く。相生橋に吊るされた米兵、火傷した馬
作者名(カナ) 片桐 サワミ(カタギリ サワミ)
作者名(英語) Sawami Katagiri
当時の年齢 44歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/9
情景場所 相生橋付近
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
原爆死亡県職員妻 片桐サワミ
昭和二十年八月九日の日のことです。市内をあちらこちら主人と子供をさがして歩きまはりました。各所の収容所をのぞいて見ますと顔はふくれ赤くはれて水水と呼んで気の毒でした。普通のやけどと全く違ふと思いました。
只一人にて死がいだらけの中をあちらこちらかけまはりました。餘りに悲惨の状態では淋しくも感じられず戦場とは此の有様か全く生地獄の感に打たれました。家屋、電柱の焼残り歩くことも六ヶ敷く主人と子供をさがしてせめて死がいないと一目見たいとかけまはりました。全く筆舌に表すことは出来ません泣いても泣いても泣きつくせません現在でも生のある人をタンカーで地方より来て運んでおられました。一人座しておられる人は時間が来て明日になるのです。私どうすることも出来ず見る見る帰りました。今はどうせられたかと案じます。あいおい橋に亜米利加兵ラッカサンデ下りたのを橋につるしてうらみをはらしておられました。警察に道の中で事務しておられ色々と御尋ねしました。広島の警察官は一人も居られず私は田舎より来た為さっぱり判りませんと色々話して下され今後は是が大切ですからと證明して下さいました。生きた馬がやけていたこと印象的でした。かはらが皆まがっていました。是はほんの一部分です
広島中全部この通りでした。あいおい橋 ドームのあたりです。
タンカーニテ運ぶ
あめりかの兵
ドーム
生きた人
あいおいばし
タンカーにて運ぶ
警察
カハラ
生きた馬
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文

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