識別コード | GE14-08 |
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絵の内容 | 火災の中茫然とたたずむ人 |
作者名(カナ) | 井上 三喜夫(イノウエ ミキオ) |
作者名(英語) | Mikio Inoue |
当時の年齢 | 40歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 御幸橋たもと |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 2,270m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 1974 Mikio |
サイズ(cm) | 20.5×27 |
展示の説明文 | (前略)私たちは、比治山のふもとを電車の軌道に沿うて帰ってきました。ゆくさきざきに、馬が倒れているのが印象的でした。余燼がくすぶっています。歩いているものには、人っ子一人逢いませんでした。ところが、御幸橋を渡った時です。橋のたもとに、パンツ一つの竹中先生が右手に握飯を握って立っていられました。 電車軌道を隔てて、北側一帯はごうごうと紅蓮の焰が天を焦しています。軌道の遠く、大手町五丁目(当時八丁目)あたりも火の海です。 その日、先生は広島文理科大学には出講していられないで、自宅で被災されました。梁の下になられた奥さんを引っぱり出そうとされましたが、不可能だったのです。火の手はもうあがっています。「父ちゃん、逃げて!」先生は奥さんを見殺しにしたまま、焰の中を脱出して、御幸橋のたもとまで逃げてこられたのでしょう。 それにしても、先生が握っていられた一箇の握飯はどうした握飯だったのでしょうか。 赤裸々な先生が焰を背にし、握飯を握って、ぬっと立っていられた姿は、なにか人間の謙虚な願いを象徴しているようでありました。(後略) 日本放送協会「劫火を見た」日本放送出版協会 1975、pp14-15 |