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トップページ原爆の絵焼け跡の市内を肉親知己の遺体を求めて歩く

原爆の絵

識別コード GE13-40
絵の内容 焼け跡の市内を肉親知己の遺体を求めて歩く
作者名(カナ) 増田 節雄(マスダ セツオ)
作者名(英語) Setsuo Masuda
当時の年齢 40歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)11:00頃
情景場所 仮設広島東警察署前
情景場所旧町名 下柳町
情景場所現町名 銀山町
爆心地からの距離 1,210m
ブロック別 銀山・幟地区
作者による説明 **絵の中
とき… 八月七日午前十一時頃
ところ…広島市下柳町電車道

仮設東警察署前歩道上

(被爆死遺体数 十体位)

現在 広島銀行銀山町支店

焼け跡の市中を肉親知己の遺体を求めて歩く
当時八月六日家を出て以来消息不明の遺家族達は原爆投下時にゐたと思はれる現場附近を中心に市中の焼け跡に無数にある被爆死遺体仮収容所(殆んどが歩道上にムシロを敷いて遺体を置き上にムシロを掛けた程度)を尋ね激暑の中を一体ゝ確めて歩く顔の識別出来ぬ時は僅かに身に残った衣類等に氣を配る
道路上の犠牲者達は一週間以上も放置してあった様に記憶してゐます。

**裏
當時 広島市下柳町二四番地
(友人の長男 県立第一中学校一年生を尋ね近隣の傷疾者仮収容所・江波・似島・五日市・可部等を歩くこと一ヶ月余り遂に消息不明の儘今日に至る。友人は中国に出征中)


現在 無職 年令七〇才
前田節雄 
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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