トップページ原爆の絵トラックに乗せられる大ヤケドをした被爆者たち
識別コード | GE13-30 |
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絵の内容 | トラックに乗せられる大ヤケドをした被爆者たち |
作者名(カナ) | 木原 敏子(キハラ トシコ) |
作者名(英語) | Toshiko Kihara |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)朝 |
情景場所 | 己斐電停前広場にて |
情景場所旧町名 | 己斐町 |
情景場所現町名 | 己斐本町 |
爆心地からの距離 | 2,500m |
ブロック別 | 己斐・草津地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月七日朝 己斐電停前広場にて、建物疎開に動員され大火傷で悲惨な形相に変わった大竹の方達をメガホンで一生懸命「大竹の方は居られませんか」と呼びトラックに乗せて居られる所。 板を渡って居られた婦人の方は見るも哀れだった。 トラックの中の方達はヒーヒー泣いて居られ本当に人間とは思へなかった。 口唇は脹れ髪は一本立ちに逆立ち服はぼろぼろに焼け体は火脹れになり市内へ市内へと出て来られた人達とは考へられなかった。 **裏 木原敏子 四十七才 八月七日朝 己斐の電車終点広場はトラックに板が渡して有り大きな声で「大竹の方はもういませんかゝ…」と叫び其の声を聞いてぼろぼろに服が焼け、体が火脹れになり頭の髪はバサバサに逆立ち昨日市内へ市内へと建物疎開に出て来られた人達とはあまりにも悲惨な形相に変って考へられなかった。 誰が誰やら解らず皆んなヒーヒー泣いて本当にこれが人間かと思った。 板を徐々に這って渡って行く人がトラックの中に転がり落ちヒーと皆んな泣かれた。 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 | トラックに乗せられる大やけどをした被爆者たち 爆心地から2,500m、己斐電停前広場(己斐本町) 1945(昭和20)年8月7日 朝 木原 敏子 絵中解説 建物疎開に動員され大やけどで悲惨な形相に変わった大竹の方たちを、メガホンで一所懸命「大竹の方はおられませんか」と呼び、トラックに乗せておられるところ。 板を渡っておられた婦人の方は見るも哀れだった。トラックの中の方たちはヒーヒー泣いておられ、本当に人間とは思えなかった。唇ははれ、髪は逆立ち、服はぼろぼろに焼け、体はおおばれになり、市内へと出て来られた人たちとは考えられなかった。 |