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トップページ原爆の絵手当てを待つ人々の列、校庭の芋畑いっぱいに並べられた負傷者と死者、火葬する兵隊達

原爆の絵

識別コード GE13-21
絵の内容 手当てを待つ人々の列、校庭の芋畑いっぱいに並べられた負傷者と死者、火葬する兵隊達
作者名(カナ) 高田 滿(タカタ ミツル)
作者名(英語) Mitsuru Takata
当時の年齢 13歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 大河国民学校校庭
情景場所旧町名 旭町
情景場所現町名 旭一丁目
爆心地からの距離 3,150m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **絵の中
教室は被災者の待合所 アツイアツイと水求メテ力ツキテ死ンデ行タ人が多カッタ
汚物もタレ流シデ異様な臭いが市内をタダヨッタ
被災者の連ツ 臨時チ療所テント
タンカデ担ギ出サレル死者
身内探シテ居ル人
ムシロカケテ居ルのガ死亡者
外の県ガラオオエンニカケツケタ消防団と軍隊
生て居る被爆者
当時学校の運動場はいも畑だった
被爆者は畑の上に寝て居た
国鉄カラ古イマクラギを死者のダビ用に
軍用のトラックデ街から運んできた死者の山
死体を運ぶ兵隊さん
地獄の様な大河小學校八月六日から約一月グライツツク
被爆死者をだビにシテ居る軍隊生残り軍隊
**裏
高田満 43才
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』
〔作者のことばから〕要約
地獄のような国民学校
被災者の列、死者の山。「アツイアツイ」と、水を求めて力尽きて死んでいった人が多かった。汚物もたれ流しで、異様なにおいが市内をただよった。
8月6日
3,150m/大河国民学校校庭
高田 滿

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