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トップページ原爆の絵疎開先の五日市へ行く途中被爆家族のいる広島は火の海で入るに入れない

原爆の絵

識別コード GE13-03
絵の内容 疎開先の五日市へ行く途中被爆家族のいる広島は火の海で入るに入れない
作者名(カナ) 木原 敏子(キハラ トシコ)
作者名(英語) Toshiko Kihara
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)午後
情景場所 福島町
情景場所旧町名 福島町
情景場所現町名 福島町
爆心地からの距離 2,100m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
八月六日午後…
福島町の派出所からは、綱が張られ通行止めになって行かれない。前方は見渡す限り火の海で、天迄真っ赤に焦がしていた。
まさか、全市が一瞬に火の海となろうとは。
北榎町方面を眺めて泣いた。
涙が後から後から流れ、たまらなく大ショックだった。
**裏
木原敏子
四十七才
昭和二十年八月六日、良く晴れた天気の良い月曜日、五日市へ疎開荷物を持って行く途中己斐の旧道であの恐ろしい忘れもしない原爆に逢い己斐の汽車駅がやられたと聞き・・・己斐の駅なら北榎町は大丈夫だから荷物だけは、持って行こうと決心をし後髪を引かれる思いで不安で破れそうな心臓を押へて五日市へと行きすぐ引返した。電車の中で北榎町は駄目だと聞き又、広島全部がやられたと聞き体の血が全部凍った如く青くなった。草津迄で電車は止まり・・・急に空が黄色で空気が変だった。己斐は人人人でごった返していた。どの家でも大声でわめき合っていた。大変な騒ぎだったが家は焼けていなかった。己斐橋を渡りやっと福島町の派出所迄帰ったが綱が張られ通行止めになって行かれなかった。前方は見渡す限り火の海で天迄真っ赤に焦がしていた。燃えている北榎町方面を眺めて私は泣いた。「敏子やゝ」「大きい姉チャンゝ」「オギャーオギャー」と、母は弟達の声が聞こえる様でたまらなく涙が後から後から流れまさか全市が一瞬に火の海となろうとは派出所のお巡りさんが来られ「大丈夫、逃げて居られるから今来た五日市へ今日は帰りなさい」とこんこんと云はれ悲しい気持で引き返す事にした。今朝出て来たあの家や母や弟があの火の中にと思うとあまりのショックに体がずたずたになる思いで泣く泣く五日市へと行った。
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 真っ赤に燃える市街を見て泣いた、涙が後から後から流れた
爆心地から2,050m 福島町
1945(昭和20)年8月6日 午後
木原 敏子(当時17歳、絵を描いた時 47歳)

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