識別コード | GE12-44 |
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絵の内容 | 重傷の母親が傷ついた我子をかかえ逃げる |
作者名(カナ) | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) |
作者名(英語) | Yoshio Hamada |
当時の年齢 | 26歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)投下後5時間前後(13:00頃) |
情景場所 | 牛田町西方の戸坂村に通じる土手 |
情景場所旧町名 | 牛田町 |
情景場所現町名 | 牛田旭 |
爆心地からの距離 | 2,000m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 被爆三十周年によみがえる廣島の悲劇 右原爆の絵は原子爆弾が投下されて五時間前後に爆心地より2キロの地点 牛田町の西方戸坂村に通ずる土手にて目撃 母親は重傷を負ひ乍らも傷ついた我が子をいだき庇いし重い足を引きづりながら戸坂村の方に向っていられたことに私は只々痛切の思ひでしたせめて私が重傷を負っていなかったらお子さんをささえてあげることが出来たのに叶えず。牛田町ですと答えられたこと今にして忘れ云れません この被爆し重傷を負っておられました母親お子様は只今どの状態でご過しのことやら知るよしもご坐居ません 牛田町の婦人 工兵隊の軍人 戸坂村へ 大田川 |
サイズ(cm) | 46×31.5 |
展示の説明文 | 重傷を負いながら我が子を抱き、重い足を引きずって逃げる母親 爆心地から2,000m 牛田町 1945(昭和20)年8月6日 午後1時頃 浜田 義雄(当時26歳、絵を描いた時 56歳) |