識別コード | GE12-39 |
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絵の内容 | 材木町の焼け跡に残る無数の死体 |
作者名(カナ) | 小川 春蔵(オガワ ハルゾウ) |
作者名(英語) | OGAWA Haruzo |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)15:00頃 |
情景場所 | 材木町 |
情景場所旧町名 | 材木町 |
情景場所現町名 | 中島町 |
爆心地からの距離 | 500m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 8月6日の3時頃、材木町の焼跡には学徒や勤労隊の人々の死傷者だけであった。元安川の両岸には特に多く集まっている。 東方を見れば焼野原の彼方に、市役所、中国配電等の建物が亡霊の様に眺められた。 市役所 中国配電 新橋 日本銀行 富国生命ビル **裏 当時材木町に居住していた。小川春蔵 |
サイズ(cm) | 25×35.5 |
展示の説明文 | 「近所の幼児たちは2、3人手をつなぎあったまま土壁のかげに半分埋まって死んでいる。姉らしき子は、弟を自分の身をもってかばうようにして死んでいる。」 手記「原爆体験記」より抜粋 焼け跡に散乱する死体、水を求めてさまよう負傷者 絵・文/小川春蔵氏 1945(昭和20)年8月6日午後3時頃 爆心地から約500m 材木町(現在の中島町) 「材木町の焼け跡には学徒や勤労隊の人々の死傷者だけであった。元安川の両岸には特に多く集まっている。東方を見れば焼け野原のかなたに市役所、中国配電等の建物が亡霊の様に眺められた。」 手記より抜粋 |