識別コード | GE12-26 |
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絵の内容 | 電車通りにできた救護所のようす |
作者名(カナ) | 山岡 文子(ヤマオカ フミコ) |
作者名(英語) | YAMAOKA Fumiko |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/9~8/14 |
情景場所 | 神崎国民学校前の電車通り |
情景場所旧町名 | 河原町 |
情景場所現町名 | 舟入中町 |
爆心地からの距離 | 1,200m |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | **裏 山岡 文子 **実態調査 倒壊、焼け残の残片で組み立てられた救護所で一週間の滞在中、死亡された人、身内に引きとられる人、又兵隊さんが連れて来られて常に200人ぐらいの方がおられました。(煙の上っているのは火葬場です) |
サイズ(cm) | 38.5×53 |
展示の説明文 | 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』 〔作者のことばから〕抜粋 電車通りの救護所 やけど、裂傷の方がほとんどで、瀕死(ひんし)の重傷でした。日を重ねるにつれ、多くの人が亡くなられ、また身内に引き取られる方もありました。しかし、収容人員が減ることはなく、兵隊さんがどこからか担架で運んでこられ、常に200人ぐらいはおられました。 8月9日から14日 1,200m/神崎国民学校前の電車通り 山岡 文子 |